飼い主の気持ち

ちょっと絡んでみるね。

坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している

 私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。

ここまではまさしく私も同じ想い、犬か猫かの違いだけ。

しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。

投げ捨てられた子猫には陰のうや子宮はないの?生きる意欲もないんだろか?あ、生命力はないかもね。

もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。

納得?絶叫?子猫は納得してるの?叫んでないの?

ま、ご自分のところの猫なので好きにすればいいと思いますし、もっと深い想いがあるのに伝えきれてない(伝わりきれてない)だけかもしれないし、私が過剰に反応してるだけかも知れないし(日本の少子化食い止める事が先決かとも思うけど)

でもやっぱり、私にはうちの犬に避妊手術を受けさせた事と、坂東さんが子猫を崖から放り投げた事との違いがわからなくて悩みます。